民族性に感動

根拠となったのが、前年12月の5相会議(首相、外相、蔵相、陸相、海相)で決定された「猶太(ユダヤ)人対策要綱」で、

ユダヤ人差別は日本が多年戦ってきた人種平等の精神に反するので、あくまで平等に扱うべし、という国家方針を定めたものである。
そのまた前年、昭和13(1938)年には、満洲国ハルビン特務機関長の樋口季一郎少将がシベリア鉄道で逃れてきたユダヤ人2万人を列車が雪の中で立ち往生した際に救出している。
ドイツから強硬な抗議が寄せられたが、闇金相談 沖縄日本政府はこれを一蹴し、逆に樋口を栄転させている。
さらに、同時期に海軍の犬塚惟重大佐は上海の日本海軍警備地区にユダヤ難民収容施設を作り、世界でただ一ヵ所、ビザのないユダヤ難民でも受け入れて、1万8千人を安全に収容していた。 当時の欧米社会で、非キリスト教徒、非ヨーロッパ人種という点で、日本人とユダヤ人はともにアウトサイダーだったのであり、ユダヤ人排斥は日本人にとっても他人事ではなかった。