理屈を良く

文面が問題なんです? それとも「不採用」そのものが問題なんです?
元々は「お祈りメール」は「不採用」の隠語でしかありません。

不況の時代、多くの「お祈りメール」を貰う学生が多いため共通文脈として出てきた言葉です。
政治家の理屈や官僚の理屈を良く「永田町の論理」「霞ヶ関の論理」と言いますが、問題なのは地名じゃないのと同じです。 「いやいや、祈ることが問題なんだ」盛れるカラコン「あんな心の篭ってないテンプレート文言貰えば腹が立つ」 そういう人も確かにいるでしょう。 気持ちはわかります。
からしたら、あれは時候の挨拶などと同じで、ある程度定型化した文言なのは致し方ないと思います。 理想系は人それぞれに心の篭った言葉を書くのがいいんでしょうけど、ある程度以上の企業の場合書類選考からはじめたら何百とか何千、かい会社の場合一万人近くもの不採用者がいます。 同じ時期に全国の大学生が一斉に活動をはじめ、しかもネットから簡易にエントリーできてしまうので数も膨れます。